personalogs.

突拍子もないことを思いついたときにメモするためのブログ

「黒子のバスケ」脅迫事件と、「絶望」が持つ力についての話

 

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2

 

 秋葉原通り魔事件が起きてしまったときも、多くの人が同じように言っていた。「こういう人を増やさないために何か手を打たなくては」と。それはその通りなんだけど、たぶん僕は無理だと思ってしまう。

 低収入・非リア・非モテ・キモオタ・ニートみたいなのが、実際に自分の目の前に現れたら、ほとんどの人は顔をそむけて視界から消去しちゃうんだよね。で、今回のような事件(渡邊被告の表現を借りるなら人生格差犯罪)が起きてしまったあとで「こんな人のために何かできることは~」以下無限ループ。

 

 ほとんどの人が犯罪をしないのは、犯した罪の引き換えに失うものが大きすぎるからなのだけど、今回の事件の犯人のように「失うものが何もない人」にはそんなリスクはまったくない。いわば、罰を受けるかもしれないという恐怖に身体が制圧されることのない無敵の存在。そしてきっと「失うものが何もない人」はこれからもっと増えていくと思う。

 この手の犯罪が増えるのって、現代は地域のコミュニティが希薄化したとか、過剰な競争社会が心の余裕を失わせたとか、そういうのが原因なのではなく、ただただ「貧しさ」が原因なのだと思う。

 

 あの頃は良かった、なんて昔を懐かしむ際によくいわれる『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代(1950年代)は、今なんかよりずっと貧しくて、殺人や通り魔といった凶悪犯罪もめちゃめちゃに多かった。*1

 生活保護をはじめとする社会保障を叩いても世直しになんかならない。それどころか「社会に見棄てられた人(失うものは何もない人)」を量産するだけでしかない。「社会に見棄てられた人」が、犯罪を犯したときの罰である「社会的立場の喪失」という制裁を恐れるだろうか。もともと社会的な立場も財産もない人から、何を奪えというのだろう。 

 

 「犯罪を犯して刑務所にぶち込まれようが、自分の人生はこれ以上悪くなりようがない。むしろその犯罪がうまくいけば人生が今よりマシになる。」みたいな絶望に支配された人が増えることを防ぐ。それが社会保障の意義だし、セーフティーネットをみんなで考えていかなきゃいけない何よりの理由なんだよね。

 『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代にはたくさんあった、貧しさゆえ社会からの疎外と、自分の人生が浮上する見込みのないという絶望が、またこの世に現れ始めている。あの時代は良かったなんて嘘だ。あの時代の水準にまで社会を荒廃させちゃダメなんだ。

*1:犯罪白書によると昭和34年の殺人事件は2683件。ちなみに平成25年は939件で、戦後はじめて1000件を下回った。